2011年3月11日14時46分

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宮城県で震度7の地震が起きた。
東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)と名づけられた。マグニチュードは9.0。
あれから4日が過ぎ、少しずつ僕の気持ちも落ち着いてきた。
以下、主に僕の行動と心情の記録。

当日の金曜日15時少し前、僕は会社にいた。
それは人生で今までに体験したことのない、強く長く恐ろしい揺れだった。
twitterを同時に見ていて、関西の人も結構揺れてるとつぶやいていたので
相当大きい揺れなのはすぐ分かった。
そのうち会社のビルの壁や窓枠がミシミシと言い出して
もしかしたら建物が崩壊して死ぬかもな・・・と本気で思った。
棚を押さえている女性がいて、棚なんか押さえてる場合じゃないだろと思ったけど、なぜか何も言えなかった。
窓の外では向かいのビルの避雷針が鞭のようにしなって揺れていた。
揺れはとても長く、体感的には2、3分続いたのではないだろうか。
はやく収まってくれという思いでいっぱいだった。
結果的には建物は全く損傷がなかった。
僕はすごく動揺していた。
東京23区は震度5強だった。
そして宮城で震度7、日本全国が揺れたと知って驚愕した。
東京でこれだけ怖かったのに、震源地近くはどれだけの恐怖だったんだろうと。

それから後は仕事にならず、USTREAMのTV中継をずっと見ていた。
想像を絶する津波の映像が流れてきて、僕は目を疑った。
この世のものとは思えない映像が次から次へと流れてきて、
続けざまに大きな余震が何度も来て、ぐらぐらと体も頭も揺らされて、気持ち悪くなってしまった。
電車は全てストップし、家まで歩いて帰る人もたくさん出てきた。
僕はなんとなく電車が動きそうだという情報をtwitterから得て、23時頃に無事に電車で帰った。

それからテレビは延々と悲惨な状況を流し続け、恐怖や悲しみにさいなまれる。
twitterを見てると、恐怖や悲しみだけではなく、勇気や感動もたくさんもらえるのだけど、
感情の振り幅が半端なく、どんどんと精神が疲弊していく自分がいた。
余震は4日たった今でも、ふとした時に発生し、恐怖の記憶を呼び戻す。
あまり情報や映像を見ないように心掛けた。

阪神大震災のときも、新潟県中越地震のときも、映像を見てこれほどの感情の変化はなかった。
自分が恐怖を実体験したからなのか、それ以上の災害だからなのか分からないが、
今回は過去のどんな悲惨な災害よりも、ものすごく心を揺れ動かされている。

そして東京電力の福島原発を始め、多くの発電所が停止して、
鉄道の運休や輪番停電という事態に陥り、節電を意識するいい機会になっている。
その他不便なことも多く、生活そのものを見直す機会にもなっている。

数多くの命が失われ、悲しく、いたたまれない気持ちでいっぱいですが、
その一方で僕は生きる力をまた少し得た。

何か自分の役に立てることはないかと思い、
とりあえず、数百円分のTポイントを募金し、iTunesから現金1万円を赤十字社に募金をした。
心から募金をしたいと思ったのも今回が初めてのような気がする。
もうすこし募金するつもりだ。

日本に生まれてきて本当に良かったとも思った。
今回のことで日本の良さが随所にでているし、日本人でいることがとても楽しいです。
これも生きる力。
またもう少し頑張ってみようと思います。

少しでも多くの方の無事をお祈りします。

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